[コラム] マレーシア大規模太陽光発電(LSS)、次期入札から蓄電池(BESS)設置が義務化へ – 投資・M&A実務への影響を読む

✅ ざっくり言うと
🌞 次期LSS入札の根本的条件変更:グリッドの信頼性向上を目的として、大規模太陽光発電プロジェクトへのBESS(バッテリーエネルギー貯蔵システム)併設が必須要件となる方針が示されました
♻️ エグジット戦略に直結する廃棄規制:EPC事業者にはバッテリーの解体・廃止措置・廃棄・リサイクルの手順策定が義務付けられ、環境画質法(Environmental Quality Act)等への準拠が必須となります
🛡️ 国際安全基準への適合義務:火災・爆発リスク低減のため、NFPA 855、IEC 62619、UL 9540などの国際的な安全規格への準拠が要求されます
💼 財務モデル再構築の必要性:CAPEX増加、廃棄引当金の計上、保険条件の見直し、長期O&Mコストの精査が投資判断・バリュエーションの前提となります
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はじめに
マレーシアの有力経済紙The Edgeが2025年12月4日付のCEO Morning Briefにおいて、同国のエネルギー政策に関する重要な方針転換を報じました。
本記事は、この報道をもとに、投資・M&A実務の観点から説明していきます。
マレーシアでのM&Aやプロジェクト開発に携わっている方であれば、同国の再生可能エネルギー市場、特にLSS(Large Scale Solar:大規模太陽光発電)プロジェクトへの投資意欲の高さはよくご存じのことと思われます。
しかし、2025年12月3日、マレーシア下院(Dewan Rakyat)の質疑応答において、エネルギー転換・水変革副大臣のアクマル・ナスルラ・モハド・ナシール(Akmal Nasrullah Mohd Nasir)氏から、今後の投資モデル、ひいてはバリュエーションにも影響を与えうる重要な方針が示されました。
それは、「次回のLSS入札における、蓄電池(BESS)設置の義務化」です。
これは単なる設備の追加と捉えるべきではないと考えられます。
プロジェクトのCAPEX(設備投資)、OPEX(運営費用)、さらにはエグジット時の廃棄コストに至るまで、財務モデルの根本的な再構築を迫る変更と言えるように思われます。
本稿では、ビジネスおよびトランザクションの視点から、この政策変更の深層を読み解いていきます。
政策転換の背景:LSSにおけるBESS設置義務化の意味
グリッド安定化への政策的シフト
これまでマレーシアのLSSプロジェクトは、いかに低コストで発電し、グリッドに接続するかという「導入量の拡大」に主眼が置かれていた側面があったと考えられます。
しかし、アクマル副大臣は下院において、次回のLSS入札において「グリッドの信頼性を高めるため」にBESSの設置を要件とする政府の意向を明確にしました。
副大臣の発言を引用すると、「次回のLSSを実施する際には、これらのプロジェクトにBESSを伴う、または設置を要求することを想定している」とのことです。
BESS(Battery Energy Storage System)とは、大規模なバッテリーシステムであり、余剰エネルギーを貯蔵し、必要に応じて放出することで、安定したエネルギー供給を確保する役割を果たします。
再生可能エネルギーの導入比率が高まるにつれて、天候による出力変動を吸収し、安定供給を維持するための調整力(BESS)が不可欠になったということではないでしょうか。
これは、先行する他国の再エネ市場でも見られた典型的な成熟プロセスと言えます。
進行中の関連プロジェクトとマーケット動向
この動きは突発的なものではないと考えられます。
実際、副大臣の発言によれば、国営電力会社であるテナガ・ナショナル(Tenaga Nasional Bhd: TNB)が開発中のパイロットBESSプロジェクトは現在建設段階にあり、2026年末までの稼働開始が見込まれています。
また、エネルギー委員会(Energy Commission: EC)は、ユーティリティレベルでのBESS容量400MW/1,600MWhを対象とした「マレーシア・バッテリーエネルギー貯蔵技術(MyBEST: Malaysia Battery Energy Storage Technology)」の公開入札を既に実施しており、評価を完了し、財務省(Ministry of Finance: MOF)の承認待ちという段階にあります。
結果は間もなく発表される予定とのことです。
つまり、マレーシア政府は「再生可能エネルギー+蓄電池」をセットで推進するフェーズに完全に移行したと考えられ、今後のLSSプロジェクトにおいては、BESS導入を前提とした事業計画の策定が必須となると見込まれます。
投資・M&A実務への影響①:ライフサイクルコストと廃棄責任
廃棄・リサイクル規制の法的枠組み
投資家やM&Aプレイヤーとして特に留意すべきは、BESS導入に伴う「ライフサイクルコスト」の考え方です。
副大臣は、廃バッテリーが環境問題とならないよう、以下の厳格な保護措置を講じるとしています。
新たな要件では、EPC(Engineering, Procurement and Construction: 設計・調達・建設)事業者に対し、以下の手順を概説することが求められます。
- 解体(Dismantling)
- 廃止措置(Decommissioning)
- 廃棄(Disposal)
- リサイクル(Recycling)
副大臣の説明によれば、これらの手順は現地の法律に沿ったものでなければならず、特に「環境影響評価法(Environmental Quality Act)」および「2007年固形廃棄物・公共清掃管理法(Solid Waste and Public Cleansing Management Act 2007)」への準拠が求められるとのことです。
さらに、環境管理計画の実施とバッテリー部品の強制リサイクルが義務化されるとも明言されています。
デューデリジェンス(DD)における実務的論点
M&Aのデューデリジェンス実務においては、対象企業やプロジェクトが以下の点を適切に把握・対応しているかが重要な検証項目になると考えられます。
財務DDにおける確認事項
- 廃棄コストの見積精度
- バッテリーの予想寿命を踏まえた廃棄時期の特定(国際的には、ユーティリティスケールのリチウムイオンバッテリーの寿命は一般的に10~15年とされています)
- 解体・運搬・リサイクル費用の積算根拠の妥当性
- 引当金の計上状況(会計上の適切な費用認識)
- 契約上の責任配分
- EPC契約における廃棄責任の明確な規定
- O&M(Operation and Maintenance: 運営・保守)契約における長期保守責任の範囲
- スポンサー(出資者)とEPC事業者間のリスク分担の明確化
- 規制コンプライアンス
- 環境画質法および固形廃棄物管理法への準拠状況の確認
- 環境管理計画(Environmental Management Plan)の策定状況
- リサイクル業者の選定基準とライセンス保有状況
法務DDにおける確認事項
- プロジェクト契約書における廃棄義務の明記状況
- 環境許認可における廃棄計画の承認状況
- 将来の法改正リスクへの対応条項(Change in Law条項等)の有無
特に、廃棄時のコスト負担が想定以上に膨らむリスクを考慮し、コンティンジェンシー(偶発債務・不測事態対応費)として一定の余裕を見込んでおくことが実務上推奨されるように思われます。
投資・M&A実務への影響②:安全基準とリスク管理
国際安全規格への適合義務
BESS導入における最大のリスクの一つが「火災」です。
韓国では、2017年から2019年にかけて20件以上のESS(Energy Storage System)火災事故が発生し、大きな問題となりました。
実際、リチウムイオン電池を使用するBESSには、過充電、熱暴走(thermal runaway)、セル間の不均衡などによる火災リスクが内在しています。
マレーシア政府もこの点を重く見ており、副大臣の発言によれば、以下の安全基準への準拠を義務付ける方針です。
- NFPA 855:全米防火協会(National Fire Protection Association)が定めるエネルギー貯蔵システムの設置および運用に関する標準規格
- IEC 62619:国際電気標準会議(International Electrotechnical Commission)が定める産業用リチウムイオン電池の安全性に関する国際規格
- UL 9540:米国保険業者安全試験所(Underwriters Laboratories)が定めるエネルギー貯蔵システムおよび機器の安全性規格
これらは、マレーシア消防救助局(Fire and Rescue Department)の要件を満たすために必須とされており、火災や爆発のリスクを最小限に抑えることが目的です。
実務における契約交渉・保険付保のポイント
実務上は、以下の点が契約交渉および保険付保の重要なポイントになると考えられます。
EPC契約において検討すべき規定事項の例
【BESS機器の安全基準適合(例示)】
1. 供給されるBESS機器は、以下の認証を取得していること
- NFPA 855準拠証明
- IEC 62619認証
- UL 9540認証
2. EPC事業者は、消防救助局への届出および承認取得を
自己の責任と費用で実施する
3. 認証が取得できない場合の対応手順を明記する
保険付保において検討すべき事項
- 財産保険(Property Insurance)
- BESS設備の火災による損害をカバーする特約の検討
- 免責条項における除外範囲の確認
- 適切な保険金額の設定
- 賠償責任保険(Liability Insurance)
- BESS火災による第三者への損害賠償責任への対応
- 環境汚染賠償への対応範囲の確認
- 保険金額の適切な設定
- 遅延損害保険(Delay in Start-Up Insurance: DSU)
- BESS設備の納入遅延による影響への対応
- 待機期間(Waiting Period)の設定
契約交渉における実務的アプローチ
M&A交渉においては、売主・買主間で以下のような責任分担が論点になると予想されます。
- 売主の主張例:「現時点で入手可能な認証を取得しており、将来の規制変更によるコストは買主負担とすべき」
- 買主の主張例:「マレーシア当局が求める水準を満たさない場合のアップグレードコストは売主が負担すべき」
この点、表明保証条項において、適切な規定を設けることが考えられます。
財務モデルへの影響とバリュエーション実務
CAPEXへの影響
BESS設備の追加により、プロジェクトの初期投資額(CAPEX)は相当程度増加すると予想されます。
国際的な相場観として、2025年時点でのBESSコストは、業界レポートによれば概ね以下の範囲とされています。
- ユーティリティスケールのBESSシステム:約USD 200,000~450,000/MW程度
- または、約USD 200~400/kWh程度
ただし、これらはあくまで国際的な参考値であり、マレーシアにおける実際のコストは、為替レート、輸送費、現地の規制対応コスト、系統接続条件などにより大きく変動する可能性があります。
したがって、具体的なプロジェクトにおいては、詳細な見積取得と精査が不可欠と考えられます。
OPEXおよびライフサイクルコストへの影響
運営段階においても、追加コストが発生すると考えられます。
国際的な業界慣行では、BESSの年間運営・保守(O&M)コストは、一般的に初期システムコストの2~5%程度とされています。
年間追加OPEXとして検討すべき項目
- 保守点検費用:BESSシステムの定期メンテナンス
- 保険料増加:火災リスク等を考慮した保険料
- バッテリー交換・補強費用(Augmentation)の引当:性能劣化に対応するための費用
- 廃棄費用の引当:プロジェクト終了時の廃棄コスト
これらの費用は、プロジェクトの収益性分析において重要な要素となります。
バリュエーション実務における考慮事項
M&A実務においてプロジェクトのバリュエーションを行う際、以下の点を考慮することが重要と考えられます。
DCF(Discounted Cash Flow)法において検討すべき調整
- 初期投資額の増加をCAPEXに適切に反映
- 年間追加OPEXおよび廃棄引当金をキャッシュフロー予測に織り込み
- WACCの見直し:火災リスク等の新たなリスク要因を考慮したリスクプレミアムの検討
- ターミナルバリューの調整:廃棄コストの適切な反映
ただし、BESS搭載により、グリッドへの売電時の出力制御(curtailment)リスクが低減し、売電収入の安定性が向上するというポジティブな側面もあります。
したがって、長期的な視点では、プロジェクトの信用力が向上し、プロジェクトファイナンスにおける借入条件(金利、LTV等)が有利になる可能性も考えられます。
今後の展望と実務対応
入札準備における留意点
次回のLSS入札に参加を検討される企業・投資家の方々は、以下の点を事前に準備しておくことが推奨されると考えられます。
技術面
- NFPA 855、IEC 62619、UL 9540認証取得済みのBESSサプライヤーとの事前協議
- TNBのパイロットプロジェクトの技術仕様・運用実績の調査
- 気候条件(高温多湿)に適したバッテリー技術の選定
財務面
- 詳細なライフサイクルコスト分析の実施
- 廃棄・リサイクルコストの見積取得
- プロジェクトファイナンス組成における貸手(レンダー)との事前協議
法務面
- EPC契約・O&M契約における責任分担の明確化
- 環境関連法規制のコンプライアンス体制の構築
- 保険条件の事前検討
既存LSSプロジェクトへの影響
今回の義務化は「次回以降」の入札を対象としていますが、既存プロジェクトへの影響についても留意が必要と考えられます。
既存PPA契約への潜在的影響
- 政府が既存プロジェクトに対してもBESS設置を「推奨」または「インセンティブ付与」する可能性
- Change in Law条項の適用可能性
リファイナンスへの影響
- 既存プロジェクトのリファイナンス時に、レンダーからBESS追加を条件とされる可能性
- グリーンファイナンス(Green Loan、Green Bond)組成におけるBESS搭載の考慮
まとめ
今回のBESS設置義務化は、マレーシアの再生可能エネルギー市場が「量的拡大」から「質的向上(安定性・信頼性の確保)」へと移行したことを象徴する政策転換と捉えられます。
投資・M&A実務への主な影響
- CAPEXの増加:BESSシステムの追加により、プロジェクト初期投資額の相当な増加が見込まれます
- 財務モデルの修正:廃棄・リサイクルコスト、長期O&Mコストの精緻な織り込みが必須となります
- テクニカルリスクの管理:国際安全基準への適合、火災リスク管理、保険付保条件の精査が重要な論点となります
- 規制コンプライアンス:環境画質法、固形廃棄物管理法への準拠体制の構築が求められます
- デューデリジェンスの深化:ライフサイクルコスト全体を考慮した精緻な分析が必要と考えられます
これらは短期的にはコスト増加要因となりますが、長期的には以下のようなポジティブな効果も期待できると考えられます。
- グリッド接続の確実性向上によるカーテイルメントリスクの低減
- プロジェクトの資産価値の安定化
- プロジェクトファイナンスにおける借入条件の改善可能性
- 国際的なESG投資基準への適合性向上
今後、LSS案件のM&Aや新規開発を検討される際は、発電設備だけでなく「蓄電・廃棄」のスキームまでを含めた精緻な事業性評価、そして長期的な視点でのリスク・リターン分析が求められることになるでしょう。
マレーシア市場への投資をご検討の企業・投資家の皆様におかれましては、この政策変更を単なる「規制強化」ではなく、「市場成熟に伴う新たな投資機会の創出」と前向きに捉え、戦略的な対応を進められることをお勧めいたします。
