[コラム] 2026年カーボンタックス導入が引き金となるマレーシアM&A再編の波

👉ざっくり言うと
✅ 2026年、マレーシアで初の本格的カーボンタックス導入が確定
✅ 高炭素排出企業の企業価値が下落し、M&A市場の再編が加速する
✅ デューデリジェンス(DD)や契約条項に「炭素リスク評価」が必須項目化
✅ 再エネ・省エネ技術企業の買収需要が急増、日本企業のクロスボーダー案件にも影響


はじめに

2025年11月、マレーシア議会は2026年度予算案を可決し、同国初となる本格的なカーボンタックス制度の導入を正式決定しました。
対象は鉄鋼・エネルギーなど高炭素排出セクターです。

私もマレーシアでM&A案件や再エネプロジェクトの支援をしている中で、ここ数ヶ月「うちの工場、炭素税が入ったらどうなるんだろう」と不安を口にする経営者が増えていると感じていました。
DDの現場でも、「排出量データはありますか?」と尋ねると「測定していない」「電力使用量はわかるけど、CO₂換算はしていない」という回答が返ってくるケースが出てくる可能性があります。

このカーボンタックスは、単なる税制改正にとどまらず、企業のバリュエーション構造を根底から変え、M&A市場の再編を加速させる歴史的転換点になると考えられます。

本記事では、カーボンタックス導入がM&A実務に与える影響を、契約条項・DD・バリュエーション手法の変化という実務的な視点から整理していきます。

カーボンタックスがもたらす「企業価値の再配分」

Budget 2026で導入が決まったカーボンタックスは、炭素排出量に応じた課税を通じ、企業の収益構造を直撃します。
影響は大きく3つの層に分かれると考えられます。

【第1層】高炭素排出企業:コスト増とバリュエーション下落

鉄鋼・セメント・石油化学など、製造工程で大量の化石燃料を消費する企業は、炭素税の直接的な負担増に直面することになります。
例えば、こんなケースを考えてみましょう。
年間50万トンのCO₂を排出する鉄鋼工場があり、炭素税がRM50/tCO₂と設定された場合、年間RM2,500万(約8億円)の追加コストが発生します。
この負担は損益計算書を圧迫するだけでなく、EBITDA倍率を用いた企業価値評価において、マルチプルの低下を招くと予想されます。
同業他社との相対比較でも、低炭素化が進んでいない企業は投資家から敬遠され、株価・事業価値が下落する可能性が高いのではないでしょうか。

【第2層】低炭素技術保有企業:相対的価値の急上昇

一方で、再エネ技術・省エネソリューション・カーボンクレジット創出能力を持つ企業にとっては、炭素税導入は追い風となります。

太陽光発電事業者、バイオマスエネルギー企業、EMS(エネルギーマネジメントシステム)プロバイダーなどは、「排出削減支援」という新たな収益機会を得ることになり、M&A市場での買い手需要が急増すると思われます。

【第3層】金融・投資家:ESG基準の厳格化

PEファンドや機関投資家は、ポートフォリオ企業のScope1・2排出量を開示する圧力が強まっています。

カーボンタックス施行後は、「高炭素資産の保有=リスク」と見なされ、Exit戦略の見直しが迫られることになるでしょう。結果として、買収時のDD(デューデリジェンス)において炭素排出リスクの定量評価が必須項目化していくと考えられます。

M&A戦略の3つのシフト

カーボンタックス導入により、企業のM&A戦略は大きく3つの方向にシフトしていくと予想されます。

売却側:高炭素事業のカーブアウト加速

炭素税負担が経営を圧迫する企業は、排出量の多い事業部門を切り離す「カーブアウト(事業分離)」を選択肢として検討することになると思われます。
例えば、複数の製造拠点を持つ企業が、老朽化した石炭火力依存工場を売却し、ガス火力や再エネ電力を使用する工場に資源を集中するケースが想定されます。

実務上、このような課題に直面する可能性があります。
・分離対象事業の炭素排出量を正確に測定・配分する会計処理
・買い手候補が限定される中での交渉戦略(競争入札 vs 相対交渉)
・売却後も残る環境負債(過去の排出に起因する訴訟リスク等)の切り分け

買収側:グリーンテック企業・再エネ資産の取り込み

従来は「周辺事業」と見なされていた再エネ・省エネ技術企業が、コア戦略資産へと位置付けが変わりつつあります。

製造業が自社工場の脱炭素化を急ぐ中で、以下のような買収が増えていくと思われます。

太陽光・バイオマス発電会社の買収:自家消費電力の再エネ化
EMS・IoT企業の統合:工場全体のエネルギー効率最適化
カーボンクレジット開発事業者の取得:排出量相殺手段の内製化

実例として:

2025年11月5日の新聞記事でも報じられたIOI Corpの300MW太陽光発電計画は、プランテーション企業が自社の土地資産を活用し、再エネ事業に参入する典型例です。こうした動きは、M&A市場において「土地+再エネ技術」のパッケージ取引を生み出していくのではないでしょうか。

PEファンド:Exit前提の低炭素化投資

PEファンドは、保有企業のExit(IPOやセカンダリー売却)時のバリュエーション最大化を目指し、投資期間中に積極的な脱炭素化投資を実行するようになっています。

具体的には…
・工場の燃料転換(石炭→天然ガス・バイオマス)
・屋根置き太陽光パネルの設置
・ISO14001・ISO50001認証の取得
・Scope3排出量管理体制の構築

これにより、Exit時点での「ESGプレミアム」を獲得し、通常のEBITDA倍率に上乗せした価格での売却を狙うという戦略が見られます。

M&A契約条項はどう変わるか

カーボンタックス導入を見据え、M&Aの関連契約における条項設計も変化していくと考えられます。

以下は、実務で焦点となる条項例です。

■ 表明保証条項(Representations and Warranties)

従来型:

「対象会社はすべての環境法令を遵守している」

これだけでは、炭素税時代には不十分です。

進化型(炭素税対応):

「対象会社の直近3年間のScope1・2排出量は、添付の排出量報告書に記載のとおりであり、第三者検証機関による認証を受けている。炭素税施行後の年間税負担見込額はRM○○を超えない」

このように、具体的な排出量データと税負担見込額を明記する方向に進んでいくと思われます。

■ 補償条項(Indemnity)

買い手は、売り手に対し「炭素税負担が開示額を超過した場合の補償」を求めることになります。逆に、売り手は「買収後の排出量増加は買い手責任」とする線引きを主張します。

交渉の焦点となるのは、
・基準日(Closing Date)以前の排出に起因する税負担は売り手負担
・買収後の操業変更による排出増は買い手負担
・未開示排出源の発覚時の補償上限額設定
というところかと思われます。

■ アーンアウト条項(Earnout)

脱炭素化の進捗を買収価格に連動させる「ESG連動型アーンアウト」も登場しています。

例えば:

「買収後2年以内に対象会社のScope1排出量を30%削減した場合、売り手に追加対価RM500万を支払う」

これにより、売り手も買収後の脱炭素化に協力するインセンティブが生まれます。まだ事例は少ないですが、今後増えていくのではないかと考えています。

デューデリジェンスの新標準:炭素リスク評価

従来のM&A DDは、財務・法務・税務・ビジネスの4領域が中心でしたが、カーボンタックス施行後は「炭素DD(Carbon Due Diligence)」が第5の必須領域となると思われます。

炭素DDの主要チェック項目

排出量の実測とGHGプロトコル準拠性

・Scope1(直接排出)・Scope2(電力由来)の過去3年データ
・排出係数の使用根拠と計算方法の妥当性
・第三者検証の有無(ISO14064-3準拠等)

実際には相当大変だと思われます…
マレーシアの中小企業の多くは、Scope1・2排出量を正確に測定・記録していません。「燃料は何リットル使っていますか?」と聞いても、「だいたいこれくらい…」という回答が返ってくることも珍しくありません。

炭素税負担の定量評価

・現行の排出量に税率を乗じた年間税負担額試算
・将来の税率引き上げシナリオ分析(RM50→RM100/tCO₂等)
・炭素税が製品コストに転嫁可能か(顧客との契約条項確認)

税負担が製品価格に転嫁できるかどうかは、ビジネスモデルによって大きく異なります。
B to B製造業の場合、既存の供給契約に「炭素税の価格転嫁条項」が含まれているかどうかが重要なポイントになります。

削減計画とCapEx見積もり

・対象会社が既に策定している脱炭素ロードマップの実現可能性
・設備更新・燃料転換に必要なCapExの精査
・削減による将来的な税負担軽減効果の現在価値計算

「脱炭素ロードマップはありますか?」と聞くと、「ESG報告書には書いてあるけど、具体的な予算は…」というケースが多くなると思われるため、対策が必要と考えられます。

規制リスクと訴訟リスク

・過去の排出量報告義務違反の有無
・カーボンクレジット購入契約の有効性(契約相手の信用リスク)
・気候変動関連訴訟の係属有無(将来の賠償リスク)

実務上の課題:推定排出量の算出

DDプロセスで最も苦労するのが、排出量データが存在しない場合の対応です。

この場合、工場の燃料使用量・電力消費量から逆算し、保守的な排出量を想定した上で、取引価格への反映や補償条項の設計を行うことになります。

マレーシア再エネ企業のM&A動向

今回の新聞記事では、以下の企業動向が報じられています。

Wasco Greenergy:年内IPO予定

バイオマス・蒸気発電設備の建設・運転を主業とするWasco Greenergyは、CIMB・Maybank主幹事の下、メイン市場上場を目指しています。IPO収益はインドネシア事業拡大・R&D投資に充当予定とのことです。

M&A視点での注目点:

・上場後、PEファンドや事業会社によるセカンダリー取得機会の拡大
・IPOプロスペクタスにおけるサステナビリティ報告義務(Bursa Malaysia要件)への対応状況
・関係当事者取引の開示とガバナンス整備

再エネ企業のIPOは、投資家にとって「脱炭素化トレンドへの投資機会」として注目されており、今後も同様の案件が続くと予想されます。

Orkim:国営投資会社Ekuinasの部分Exit

石油タンカー運営会社Orkimは、Ekuinas保有分の一部をIPOで売却します。ただし、上場後もEkuinasが60%保有を維持する方針です。

この動きをどう見るか

政府系ファンドは、完全Exitではなく「流動性確保+経営権保持」の戦略を採用しています。これは、戦略的資産として海運・物流インフラを手放さない姿勢の表れと考えられ、今後も同様のパターンでのIPOが続く可能性があるのではないでしょうか。

日本企業・クロスボーダーM&Aへの示唆

日本企業がマレーシア企業を買収、またはJV設立を検討する際、カーボンタックス施行は以下の影響を及ぼすと考えられます。

買収ターゲットの再評価

従来、「安価な労働力+戦略的立地」で評価されたマレーシア製造業が、炭素税負担により「隠れたコスト」を抱えるケースが増えていきます。

買収前に炭素DDを実施し、税負担を織り込んだバリュエーションが必須になると思われます。

JV契約における炭素税負担の配分

日本企業が現地パートナーとJVを組む場合、「炭素税は誰が負担するか」を契約書で明記する必要があります。

特に、既存工場を現物出資するケースでは、過去の排出に起因する税負担の扱いが争点となります。
「既存設備の炭素税は現地パートナー負担」「新規投資分は出資比率で按分」といった条項設計が求められることになると考えます。

再エネ事業への参入機会

逆に、日本企業が保有する省エネ技術・再エネ設備を現地展開する絶好の機会でもあります。

マレーシア企業との技術提携・ライセンス供与・設備納入を通じ、脱炭素化支援ビジネスを拡大できる可能性があるはずです。

当社の支援領域:炭素税時代のM&A実務

私たちBorderless Consultingは、再エネ・M&Aの実務経験と現地ネットワークを活かし、以下の支援を提供しています。

■ カーボンDD支援

現地の専門家とともに以下の作業を行います。

・Scope1・2排出量の実測・検証支援
・炭素税負担のシナリオ分析とバリュエーション調整
・第三者検証機関(ISO14064-3認証機関等)との連携

「排出量データがない」という状況からでも、燃料・電力使用量から推定排出量を算出し、DDレポートに反映させることが可能です。

■ M&A契約条項の設計

・炭素税に関する表明保証・補償条項のドラフティング
・ESG連動型アーンアウト条項の設計
・クロスボーダー案件における準拠法・紛争解決条項の整理

英文契約・マレーシア法準拠契約の双方に対応し、炭素リスク条項を適切に組み込みます。

■ 統合後のESGコンサルティング

・買収後の脱炭素ロードマップ策定
・再エネ導入のフィージビリティスタディ
・Bursa Malaysia上場企業向けサステナビリティ報告支援

M&A成立後のPMIにおいて、ESG体制構築までワンストップで支援します。

■ 再エネ・技術パートナーのマッチング

・太陽光・バイオマス事業者との提携仲介
・EMS・IoTソリューションプロバイダーの紹介
・カーボンクレジット取引市場へのアクセス支援

現地のネットワークを活用し、信頼できるパートナー企業とのマッチングをサポートします。

まとめ – 今からできる3つのステップ

2026年のカーボンタックス導入まで、残された時間はあまり多くありません。

M&A市場は「炭素」を軸に再編されていきます。高炭素企業の価値下落と低炭素企業の価値上昇が同時進行し、企業は「売却・買収・統合」の判断を迫られることになることが予想されます。

今からできることは、以下の3つだと考えます。

✅ ステップ1 – 自社(または買収候補先)の排出量を把握する

まずは現状を知ることから始めます。
Scope1・2排出量の測定は、専門家の支援を受ければ数週間〜数ヶ月で完了するものと考えています。

✅ ステップ2 – 炭素税負担のシナリオ分析を行う

税率が変動した場合のインパクトを試算し、事業計画に織り込みます。
M&A検討中であれば、バリュエーションへの反映も必要です。

✅ ステップ3 – M&A契約・JV契約に炭素リスク条項を組み込む

既存の契約テンプレートを見直し、表明保証・補償・アーンアウト条項に炭素関連条項を盛り込んでいきます。

今後、マレーシアでM&A案件に関わる中で、「炭素税、どうすればいいんだろう」という声を多く聞くようになると予想しています。
まだ制度の詳細が確定していない部分もありますが、だからこそ早めに準備を始めることが重要だと考えています。

私たちBorderless Consultingは、現地制度への深い理解と、再エネ・M&A実務の最前線経験を武器に、お客様の戦略的意思決定を支援します。

ご質問・ご相談がありましたら、お気軽にお問い合わせください。

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